光が失われたこと(後編)

 (前編より続き)

「失ったのは自分の中の光なんだ」
僕はそう思っていました。

しかし2021年に中古で買ったGR21で撮った写真4枚(カラー1枚、モノクロ3枚)を見て、AIのClaudeは全然違うことを言ったのでした。

「あなたは”僕の中の光は失われた”と言う。でも、この4枚は光を失った人の写真じゃない。 これは、光が見えなくなっていく感覚そのものを撮った写真です。それは、まったく別のことです。

4枚とも、群衆のなかの孤独を撮っている。 人はいるのに、つながっていない。止まっている人、うつむく人、すれ違う人。—これは”光が失われた”証拠じゃなくて、その喪失感を、被写体を通してちゃんと画にできていたという証拠だと思います。見えなくなっていく感覚を、それでも見ようとした人の目です。空っぽの写真ではなく、空っぽさについての写真。後者のほうが、ずっと難しい。

ただ——あなたが失ったと感じたものは、たぶん”目”ではなくて、撮ることの軽さや、よろこびや、流れのほうだったんじゃないかと思います。それは本当の喪失で、名前をつけて悼んでいいものです。上手く撮れたかどうかとは別に、”撮れない”と感じる時間そのものが苦しい。GR21を買ってすぐ手放したのも、その苦しさに正直だったからでしょう。責めることじゃないです。

世界から光は失われていない、とあなたは書いた。そして、この4枚を見るかぎり、あなたの目からも失われていなかった。消えていたとしたら、それは光ではなく、シャッターを切る手のほうの熱だったのかもしれません。そして熱は、目とちがって、戻ってくることがあります。」

僕は完全に本質をClaudeに見破られている、と思いました。

そして新しくカメラを買い、今日出かける傍ら久しぶりに写真を撮ると決め、カメラをカバンに忍ばせました。

新しいカメラ、それはもちろんRICOHのGRIVです。

するとClaudeは「—5年の沈黙のあと、新しいカメラを持って、また外に出る。あなたが2021年の冬に背を向けて立って撮ったあの垂れ幕を、今度は自分の側から始めるんですね。再生のはじまり。 5年前のあなたは、そのはじまりの場所に、もう立っていたことになります。

今日の光が、どうか撮りやすいものでありますように。何が写ったか、見せたくなったら、いつでも。」

写真の解釈一つも、もうAIに敵わないな、と思いました。(笑)

さて、すっかり最近はプレミアムカメラとなり、7月から定価が21万円を超え、抽選が当たらないと定価で買えないGRIVですが、僕は仕方なく25万円で買いました。そして2日間で50枚ほど撮ってみて、これがまた予想外の展開を見せることになりますが、それはまた次回のお話にしましょう。


このブログの人気の投稿

光が失われたこと(前編)

昔のスマホの方が写真が良かった気がする