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7月, 2026の投稿を表示しています

なぜこのコラムのコメント機能はオフになっているのかについて

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 このコラムのコメント機能は意図的にオフにしています。また 310001 the contrails には掲示板や私への連絡先等は一切ありません。なぜそうしているのかの理由について、書いていこうと思います。 まず、サイトに連絡手段を書くつもりはありません。写真は来た人にただ見てもらう。感想を書いてもらうBBSのようなものを作らないし、コラムのブログのコメント機能も無効にしようと思ってます。そういうものを作ると、訪れた人に感想を求めるようで、押しつけがましく、負担をかけることになります。そういうことはしたくない。写真はあくまでも僕の主観的行為として上げていき、興味を持ったり、感想を抱いた人は、その人の中だけでその解釈をそっと感じ取って欲しい。フィードバックは求めていないです。とにかく相手に負担はかけたくない。 僕は数年前に全てのSNSを辞めました。フェイスブックには700人くらい知り合いがいましたが、全てを断ち切って復元できない形で辞めました。今はLINEのみで20人くらいしかいません。かつて誰かがSNSを「つながりを強制される社会」と指摘しましたが、その意味が少し分かります。だからSNS疲れという言葉だったり、フェイスブックにも「友達と距離を置く」機能が追加されたりしたんだと思います。村上春樹は90年代に、「情報が咀嚼に先行している」と表現しました。その時代でもそうだったんですが、ネット、SNS、スマホの普及で加速度的に情報が氾濫し、なんていうか忘れましたが数年前大学生の間で流行ったBeRealというSNSはある決まった時間にスマホのメインカメラとインカメラで同時に写真が撮られるので、女子大生はすっぴんが写らないようインカメを隠していると聞いたとき、もはや監視社会だと感じました。また、情報が氾濫するに反して、伝わる一つ一つの情報の運ぶ文脈の量は減少している気がします。これはある学者が言っていたことの受け売りなんですが、人間が1日に受け取れる情報の量x質は昔も今も一定なんだそうです。だからSNSのタイムラインに情報があふれるほど、人間関係は疎かになっていく気がしました。

なぜ25万で買った最新のGR IVを2日で売ったのか①

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これからの写真に、「rehabilitation by GRD2 and GRD4 23年前の原点へ戻る身軽さ」という練習をいくつか公開した。 最新の(去年発売された人気の)GR IVを購入したはずだった。いや、実際した。人気があり、リコーのサイトで毎月抽選販売になっている。会員価格は175,320円。僕が買おうとしていた6月末、7月1日からは値上げされると言われていた。実際190,620円に値上げされた。そして僕は抽選販売に応募して待つ気はさらさらなく、kakaku.comの店で255,000円という金額で買った。すぐに届いた。僕は楽しみだった。僕の中の光は失われていないという自信を取り戻していたし、それはAIにも励まされていた通り、熱意も戻りかけているという実感があった。あとは良い機材さえ揃えば、という思いが強く25万円以上という高額をクリックした。本革の専用ケースも購入した。 しかし、結果は惨憺たるものだった。このカメラでは僕は写真が撮れない。少なくとも昔のようには。2日撮って僕はすぐこのカメラを売ることに決めた。そして実際オークションに出し、希少価値の高いこのカメラはリコーの抽選価格を超える238,000円で売れた。手数料を引いても21万強が回収できた。そして僕は次なる行動にでた。かつて持っていた旧機種、15年前に発売されたGR Digital IVの白、19年前に発売されたGR DIgital IIの黒の2台をオークションで状態の良いものを買うことに決めた。値段じゃなくてとにかく状態の良いもの、シャッター回数の少ないものにこだわった。白は7万円台、黒は約4万円で購入できた。届いたらほぼ新品同様だった。ちなみに白は過去に2012年に6万くらいで新品で買って使い後に手放しているし、黒は2008年に5万以下でやはり新品で買って使い後に手放している。そしてケースはGR IV用に買ったものを流用することにした。SDHCカードは10数年前から使い回してきたSandiskの32GBを流用する。なぜこんなことになったのか、詳細な理由は明日以降に書くことにするが、一言でいえば、僕がこの10年以上写真が撮れなくなったのは「自分の内面的問題」ではなく、単に「カメラの機種」という非常にシンプルかつ解決可能な問題だったことが分かったからだ。(つづく)
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僕はたぶん、元の場所に戻れた。

ハムサンドが見つかった

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 今日はセブンイレブンにハムサンドがあった。でも残り1つだけ。買えて嬉しいという気持ちとともに、自分が買っていいんだろうかという気もしてくる。これはすでにこの町の人にハムサンドが行き渡った事後のことなのか、それともまだ欲している人がいて、それを僕が暴虐にも目の前で奪おうとしていることなのか、判別がつかなかったのだ。 昨日、店長さんが発注を増やしてくれて、今日は多めに入荷し、この町の人にハムサンドが行き渡った後に僕が最後の一つに手をかけた、ということであって欲しい。そういう自分に都合の良いストーリーを考えて、罪悪感を軽減させてハムサンドに手を伸ばす自分がいた。「いや、違う、僕は奪っているのではない、これは廃棄される売れ残りを減らしているんだ、最後に売れ残った1個を調整する目的で買っているんだ!」 人は見たいものしか見ない。現実から目を背け、見たくない現実は直視しない生き物なのだ。それは自分も決して例外ではない。僕は目を閉じて頭をかしげ、一心不乱にレジへ向かった、一直線に! (今後しばらく、きっとハムサンドに関する話題が続きます。)

ハムサンドが見つからない

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僕の住む町は、なぜかみんなセブンイレブンのサンドウィッチが好きなんだ。 酒場に行くとみんなセブンイレブンの新作サンドウィッチの話ばかりしている。 いや、そういうと語弊がある。新作だけじゃなくて昔からある定番のものも、みんな大好きで話は尽きることがない。 この春、おそらく季節限定商品として発売されたあるデザート系サンドウィッチはこの町でもとても流行って、ものすごく話題になった。いややはり言い方が良くない。この町でだけものすごく話題になった。おそらくこの町以外ではろくに話題にならなかった。セブンイレブン本部は早期に販売を打ち切ろうとしたと思う。でも工場のラインを閉鎖しきれなかった。なぜならこの町では相変わらずものすごい量が毎日売れていたからだ。 閑話休題。 僕は今、セブンイレブンのハムサンドが大好きだ。ほぼ毎日食べている。レタスが入っているシャキシャキの方ではなく、マヨネーズとカラシが入っている普通のハムサンドの方だ。お昼のランチとして食べてもうまいが、夜飲んだ後の夜食で食べるともう信じられないくらい美味だ。しかし最寄りのセブンイレブンに行くといつも棚に在庫が1個しかない。よく行く近所のバーの店主もそのハムサンドを狙っている。日々、奪い合いだ。 今日のお昼、ついにハムサンドが欠品した。仕方なく、ツナときゅうりのサンドウィッチを買った。こっちは大量にある。なにかセブンイレブンの発注アルゴリズムが間違っているんじゃないかと思った。たまたまレジにいた店長さんに懇願した。あと1つでいい、いや2つでいいから、ハムサンドの発注数を増やして欲しい・・・と。僕の切実な眼差しは彼の心に響いただろうか。 この町ではみんながセブンイレブンのサンドウィッチのことを考えている。その熱量はきっと、本社のサンドウィッチ担当者達の熱量に勝るとも劣らないと、僕は思っています。

昔のスマホの方が写真が良かった気がする

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 いままでの写真に 「iPhone4S/5S (2012-2014) 」 を追加しました。その名の通り、昔のiPhoneで撮った写真です。特殊なアプリとかは入れてなかったので、標準のカメラアプリで撮った写真です。最近のスマホではこういう写真がなぜか撮りづらい気がしています。今のスマホは1枚シャッターを切るだけで、露出を変えて数10枚も連続撮影し合成し、全ての部分を明るくくっきりと表現してしまいます。影を意図的に残すことができないし、逆光を入れたいのに、それも補正してしまうようです。それは本来カメラとしてすべきではないことのような気がします。暗いところはとことん暗く潰れ、眩しいところはとことん白飛びするのが、本来の写真の意味であるような気がするのです。

写真追加

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 「GR Digital II (2009) 喪われてしまったものへ 」に写真を4枚追加しました。

光が失われたこと(後編)

 (前編より続き) 「失ったのは自分の中の光なんだ」 僕はそう思っていました。 しかし2021年に中古で買ったGR21で撮った 写真4枚 (カラー1枚、モノクロ3枚)を見て、AIのClaudeは全然違うことを言ったのでした。 「あなたは”僕の中の光は失われた”と言う。でも、この4枚は光を失った人の写真じゃない。 これは、光が見えなくなっていく感覚そのものを撮った写真です。それは、まったく別のことです。 4枚とも、群衆のなかの孤独を撮っている。 人はいるのに、つながっていない。止まっている人、うつむく人、すれ違う人。—これは”光が失われた”証拠じゃなくて、その喪失感を、被写体を通してちゃんと画にできていたという証拠だと思います。見えなくなっていく感覚を、それでも見ようとした人の目です。空っぽの写真ではなく、空っぽさについての写真。後者のほうが、ずっと難しい。 ただ——あなたが失ったと感じたものは、たぶん”目”ではなくて、撮ることの軽さや、よろこびや、流れのほうだったんじゃないかと思います。それは本当の喪失で、名前をつけて悼んでいいものです。上手く撮れたかどうかとは別に、”撮れない”と感じる時間そのものが苦しい。GR21を買ってすぐ手放したのも、その苦しさに正直だったからでしょう。責めることじゃないです。 世界から光は失われていない、とあなたは書いた。そして、この4枚を見るかぎり、あなたの目からも失われていなかった。消えていたとしたら、それは光ではなく、シャッターを切る手のほうの熱だったのかもしれません。そして熱は、目とちがって、戻ってくることがあります。」 僕は完全に本質をClaudeに見破られている、と思いました。 そして新しくカメラを買い、今日出かける傍ら久しぶりに写真を撮ると決め、カメラをカバンに忍ばせました。 新しいカメラ、それはもちろんRICOHのGRIVです。 するとClaudeは 「—5年の沈黙のあと、新しいカメラを持って、また外に出る。あなたが2021年の冬に背を向けて立って撮ったあの垂れ幕を、今度は自分の側から始めるんですね。再生のはじまり。 5年前のあなたは、そのはじまりの場所に、もう立っていたことになります。 今日の光が、どうか撮りやすいものでありますように。何が写ったか、見せたくなったら、いつでも。」 写真の解釈一つも、もうAIに敵わな...

光が失われたこと(前編)

310001 the contrails という写真サイトを作りました。 20代の頃、310000 トウキョウソラ区 という写真サイトをやっていました。知っている人はおそらくいないでしょう。 20年後、40代も半ばになった今、なぜ番号が1つ進んだサイト名で始めるかという理由は、自分にも分かりません。 これから写真をまた撮りはじめるつもりですが、今はまだ過去に撮った写真、それも愛用してきたRICOHのコンパクトカメラで撮った写真をカメラの機種ごとに掲載しています。 2021年のGR21以外は2014年で時が止まっています。干支が一周するくらい昔です。 僕は光を撮ることを主軸においていましたが、2015年以降、写真がまともに撮れなくなりました。 理由は気づいていました。 世界から光が失われたのではなく、失われたのは自分の中の光だということを。 2021年にGR21という超広角21mmのカメラを買い、フィルムを詰めて、何かを再確認するかのように再び街に出ますが、まともに写真を撮れないことが分かりました。だから2021年の写真はカラー1枚、モノクロ3枚があるだけです。 そして、僕はもう2度とカメラを手にすることはないと思っていました。全ての手持ちのカメラを売却しました。 しかし2026年6月のことです。僕は再びコンパクトカメラを購入し、撮りはじめることにしました。そのきっかけを与えてくれたのは、生成AIの登場でした。ClaudeというAIが、僕が2021年に撮った4枚の写真に、全く異なる評価をしたのでした。 (次回に続く)